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日光御成道をランニング〜その1【本郷追分から浦和大門宿】

2025年ゴールデンウィークの4連休。4日は走れないので、3日と5日に旧街道を走って来ました。

コースは日光御成道です。これは江戸幕府の将軍が日光東照宮に参拝に行くときに利用された道です。家康が小山評定に向かう際に通った道で縁起がいいってことなのか家光の時代に将軍家専用道として整備されたそうです。

将軍が通る時には全面通行止めだったようですが、それ以外の時期は岩槻街道として、一般人も利用できたようです。埼玉の方ならともかく

日光街道が整備された後は細い脇往還だったようですが、その後、五街道に準じた街道として幕府直轄で整備されたそうです。

2日に分けて走って25km弱を2回。

初日の5月3日は中山道と別れる本郷追分(東大前駅からすぐ)から自宅の近くの大門宿まで。

本郷から川口まで



 

まずは地下鉄南北線で東大前。駅から出ると東大農学部前。東大農学部には上野教授とハチの銅像があり、プチ観光地になってます。

 

東大農学部前の交差点にある追分一里塚跡からスタート。

一里塚の跡に建っているのは高崎屋酒店。1751年開業とのことなので、江戸時代。宝暦年間、吉宗の亡くなった年ですね。

 

さて、走り始めます。

ちょっと走って右側の浄心寺入口には大きな布袋さんがいらっしゃいます。左手にはみかん持ってます。

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この後も寺町になってお寺がたくさんあります。

本駒込の駅付近まで来ると、天栄寺の入口に駒込の青物市場の跡碑が立ってます。江戸時代後期には、神田、千住と並ぶ3大青果市場だったそうです。そこに繋がるメインストリートが将軍が通るって全面通行止めになると不便だったでしょうね。

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右側に戻って数百メートル走ると、吉祥寺に到着。吉祥寺は水道橋の今の東京工芸高校付近にあったのが、明暦の大火で燃えて駒込に移転したそうです。で、門前町に住んでた人は寺とは別に五日市街道沿いの武蔵野の台地上に移転。それが今の武蔵野市の吉祥寺だそうです。なので、吉祥寺には吉祥寺はありません。

 



さて、駒込駅に近づいて来ました。

六義園まで到達。今は都立ですが、元は柳沢吉保が作って、明治になって岩崎弥太郎が復活させた庭園。まだ開園前でしたが、入場を待っている人がいました。さすがゴールデンウィーク


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駒込駅を過ぎると西ヶ原に入って旧古河庭園。ここはバラの名所。150円で入れます。今回はラン中なので通過。

 

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すぐに西ヶ原の一里塚。

ここで本郷追分から約4km。きちんと両側の一里塚を残している貴重なものです。道路拡幅に伴い削ろうとしたら渋沢栄一をはじめとした住民が反対して残すことになったのは有名です。

 





 

 

 

 

右側に飛鳥山公園を見ながら山を降りて山の下にあるJR王子駅に向かいます。

 

ここで石神井川(音無川)を渡ります。今は川は音無親水公園として整備されています。近くに玉子焼きで有名な扇屋さんがありますが、営業前だったのでスルー

 

 

街道は川を越えてまた台地上に戻ります。王子大坂を登ります。なかなかの坂道です。

 

坂を登り切ると都道455号。王子から十条を通って西が丘に向かう道です。街道はすぐに右に逸れて赤羽に向かう道になります。

 

 

東十条で環七を越えて赤羽に向けて下り坂。だんだん川に近づいていくように感じます。

赤羽駅を過ぎて、右折すると道標が残されてます。

 

 

赤羽岩淵の交差点でここが岩淵宿。いよいよ荒川(江戸時代は入間川)を越えます。

いつもの新荒川大橋で越えます。江戸時代にはもちろん新荒川大橋は無く、渡し船で越えたそうです。将軍が通る時だけ船を繋げて橋を作ったそうです。

 

荒川を過ぎて埼玉県川口市

川口から浦和大門まで



新荒川大橋の袂にあるのが川口宿。ここに鎌倉橋の碑がありました。ここは鎌倉時代に開かれた幕府と各地を結ぶ鎌倉街道中道(なかつみち)でもありました。

 

ここから街道は国道122号線になります。めちゃ車が多いので我慢の走り。暑くなってきた。

新芝川を鳩ヶ谷大橋で越えてようやく国道122号と離れます。

 

鳩ヶ谷に入ってしばらく走ると第二産業道路との交差点の中央分離帯に「ここから北 鳩ヶ谷宿」と標識が作られてます。もちろん新しいものです。

 

宿場町の雰囲気が出て来ました。しばらく走るといつも走る見沼代用水東縁を過ぎて坂を上ります。ここが鳩ヶ谷宿の中心。この辺りに一里塚跡があったらしいのですが、見つけられず。

小さな市神社もありました。(右下写真)


しばらく走ると街道を挟んで神社が向き合っているところはあります。左側が氷川神社で右側が子日(ねのひ)神社です。元は一つの神社でこの御成道を境に新井宿村と西新井宿村に分けられた時に神社も2つになったそうです。

子日神社は足の神様とのことで、草鞋が奉納されてました。

 

神社から少し走ると現在の街道、首都高速川口線をくぐります。そして、現在の脇往還とも言える外環道をくぐります。

 

  • この先国道463号に合流するまでの区間(約3.5km)は歩道が完全に無くなります。側溝の蓋くらいの幅しか歩くスペースはありません。さらに、この区間に並行する国道122号(東北道の脇)が大門交差点を先頭に渋滞することが多いので、抜け道として使う車が多く、大型車もとても多いです。無理に走ると危ないので、安全第一で適宜歩いた方が良いですし、歩道のしっかりある国道122号か東川口駅を抜ける新しい道を通った方が良いと思います。

危険なエリア(18kmから21.5kmくらいまで)



危ない道を怖がりながら走ったり歩いたりして一里塚ポケットパークに到着します。かつてここには戸塚一里塚があったそうです。

 

武蔵野線を越えて怖い道を走ったり歩いたりしてようやく国道463号に合流。ここからは狭いながらも歩道が復活。ここから大門宿で今日のゴールです。

本陣、脇本陣ともに残されてます。

 

脇本陣から100mほどで国道463号は左折して東浦和に向かいます。ここでゴールにしてバスで帰ろうと思ったら、20分以上バスが来ない。しかも東浦和行きでは無くって、浦和駅行きだし。

仕方なく国道463号を東浦和まで走ったり歩いたりして帰りました。

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長くなったので、後半はまた別途。

 

genmaigenmai.hatenablog.com

 

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