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【ゴールデンウィークは鉄道沿いを走る】廃線跡を走る(東武熊谷線かめの道)【旅ラン】

ゴールデンウィークが近くなって、ゆっくりなら走れそうに回復したこともあり、妻沼聖天山に熊谷から走って行こうと計画してました。

 

genmaigenmai.hatenablog.com

 

そこまでのランニングルートをどうしようかと考えていた時に、最初は国道407号だろうと。途中に道の駅もあるしと思ってました。

気が変わったきっかけは、Googleマップのこの「かめの道」。遊歩道を示す緑線なので、木陰で涼しそう。

地図上では高崎線に当たって終わってるけど、その先を見ると秩父鉄道石原駅上熊谷駅間で合流している。これ廃線跡じゃない?

ところで「かめ」って、「亀🐢」?「甕」?「咬め」?

 

「熊谷 廃線」で検索をかけてみると出てきました。これは東武鉄道が運行していた熊谷線の廃線跡でした。「かめ」はやっぱり「亀」で、熊谷線の愛称(と言っていいのかは別にして)が、「ノロマ線のカメ号」だったことに由来しているそうです。昭和の日本人は口が悪い。

歴史

東武熊谷線は、熊谷駅から妻沼聖天山のすぐ近くの妻沼駅まで繋がっていたそうです。第二次世界大戦中に中島飛行機(今のSUBARU )の小泉工場(現在はパナソニックの工場)や太田市中島飛行機の工場に工員や物資を運ぶために建設されたそうです。

第一期工事が熊谷から妻沼までで、昭和18年(1943年)に開通。第二期工事では利根川を越えて、貨物線として営業していた東武仙石河岸線(こちらも廃線済)に接続して、現在の東武小泉線に接続する計画でした。

第一期工事完了時には、高崎線沿線から工員を妻沼へ運び、そこからはバスで刀水橋を渡って小泉工場まで行っていたそうです。

第二期工事中に終戦を迎えて工事は中断され、その後もつながることはなく、群馬側の東武仙石河岸線は1971年に廃止、熊谷線も1983年に廃止されたそうです。

ルート

北から行くか南から行くかですが、北側の東武小泉線は1時間に1本。南側の高崎線熊谷駅を出る電車は10分〜15分に1本はあるので、時間が読みにくい帰りの電車を熊谷にすることにして、北から南へ向かうことにしましょう。

東武小泉線終点の西小泉からスタートして、仙谷河岸まで行き、そこからは廃線跡は無いので、刀水橋で利根川を渡り、対岸の埼玉県に移動。

途中で妻沼聖天山に寄り道して、旧妻沼駅から熊谷付近まで走ることにします。

関東平野のど真ん中。利根川沿いなので起伏はほぼ無し。廃線跡なので並行して走るバス便もあってエスケープも可能なルートです。

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東武仙石河岸線跡

西小泉駅からスタートです。西小泉駅はホームの端に車止めがある頭端型ホームですが、今は架線のない草むしたホームのレールはその先に伸びていたかのように見えます。

 



その先が遊歩道になっています。

遊歩道入口近くのお店の看板。ここは工場に勤めるブラジル出身の人が多いので、リトルブラジルになっているそうです。西小泉駅のカラーもカナリア色です。

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廃線跡の緑道です。路線を辿るように緑道になっていて、ゴールは公園です。
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陸橋で県道を越えると終点も近い。
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ここで仙石河岸線はゴールです。

 

未成線部分

ここから先は完成しなかった部分。今は残っているのは利根川堤防の外側、公園の敷地内の橋脚1つだけです。コンクリートの造りが雑。戦中戦後の突貫工事の影響でしょうか。


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ここから利根川の土手に出てみます。今はこの先には何も残っていません。

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さあ、川を渡って埼玉県に戻るため刀水橋に迂回します。

刀水橋は2車線の車道橋と歩行者自転車の側道橋の構造になっています。ここを渡って走ります。

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保存車両

少し妻沼聖天山に寄り道して戻りました。ここには東武熊谷線を走っていた車両が保存されています。

セージクリーム色の車両です。昔の日比谷線に乗り入れていた東武伊勢崎線の車両の色です。懐かしいです。今回は展示館の門が閉ざされていたので、敷地の外から撮影しました。


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熊谷線跡

ここからは熊谷線跡です。この鉄道は集落をつなぐ鉄道では無く、軍需鉄道だったので、集落関係なく熊谷市街地まで何にもない田んぼの中をまっすぐ引かれています。歩道完備の2車線道路になっていて、ほとんど鉄道の面影は無し。しかも日陰がほとんど無いひたすらまっすぐの道・・・

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途中にある東武橋。痕跡はこれくらいかも。


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新しい道路で軍需鉄道だったので集落も無く、ずっと日陰なしのまっすぐなロードを走ってきました。まっすぐだし、信号も少ないので車は飛ばしていきます。

ようやく国道17号バイパスが見えてきました。
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バイパスをくぐってもうしばらく走るとようやくロードは終わり。

ここからはかめの道。遊歩道になります。遊歩道と敷地外の境界には郊外の鉄道っぽい柵があります。これを見ると、鉄道跡だと分かります。

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遊歩道はJR高崎線で唐突に終わります。築堤が向こう側に見えます。東武熊谷線は高崎線を橋で越えていたそうです。
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走り終わり

国道17号まで戻ってゴール。写真を撮りながらキロ7分で15kmくらい走りましたが、最後の方は走れなくなってしまい、歩きながらゴール。いや、かなり劣化してます。ハーフの距離すら走りきれない・・・

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この先は暑い中、日陰の無い道路を走ったご褒美にお昼ごはん。

熊谷市内で濃厚豚骨ラーメンをいただきました。お店は「てっちゃん」。店外で5人待ちだけど、回転が早いので、10分待ちで入店。あとで調べてみたら有名店だったようです。美味しゅうございました。


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熊谷駅まで徒歩で戻る途中、踏切を渡ると、秩父鉄道の横に使われていない古いレールが残されています。これが東武熊谷線の痕跡だそうです。

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こんなマラニックもいいですよね。

 

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