2025年5月5日の祝日。
4連休の3日目。3日に続いて日光御成道ランニングに行って来ました。
今度は、浦和大門宿から幸手追分。北半分の25kmくらいのコースです。
浦和大門から岩槻に向かい、岩槻から幸手に向かうコースで、元の街道はほぼ県道になっています。一部のみ狭い道もあり。
大門宿まで家からバスで向かいます。浦和駅から出ていて、浦和美園駅行きと東川口駅行きのバスがあって、結構頻繁に来ます。
大門のバス停からスタート。
国道463号は東浦和方向に左折して行きますが、街道は直進。交差点を越えてすぐに大興寺があります。街道はこの寺の脇を通っていたそうなんですが、今は東北道で遮られています。


高速を越える。7時過ぎで、北に向かう高速道路は渋滞が伸びてました。
高速道路とその横を走る国道122号から離れて日光御成道(埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線)に入り北上します。
街道筋にはこんな石像があちこちにあります。
これは青面金剛像。庚申信仰の神様です。インド由来だそうです。
しばらく走って行くと古そうな神社。
高校野球で有名な浦和学院高校がありました。かなりのマンモス校で有名です。普段見沼代用水東縁付近を走っていると自転車で高校生が追い抜いて行きます。東浦和とか浦和から結構な距離なのでこれで鍛えられているんでしょう。
ここまでずっと平坦でしたが、天久保坂の標識が現れて、坂道を下って行きます。ここにさぎ山記念公園があります。さぎ山なんですが、昔はサギがたくさんいたそうなんですが、今は生態が変わったのかいないそうです。トイレ・給水あり。トイレに寄って行きます。


七里に近づいて来ました。ここで膝子一里塚。しっかりと残されています。江戸から八里だそうです。


ここを過ぎると左に見沼代用水東縁が寄り添ってきます。左側に七里総合公園。トイレあり。
ここで県道105号さいたま鳩ヶ谷線から分かれて、岩槻に向かいます。
江戸時代の道標。文字は判別できませんでした。そのすぐ横には現代の道標もあり。


国道16号を渡って埼玉県道2号さいたま春日部線に入って綾瀬川を大橋で渡ります。その後は北に少し回り道をして東北道をくぐります。


そこから県道に戻って人形の街岩槻。街の入り口にはわらべ人形像があります。
岩槻の市街地には古い建物が残されています。



江戸時代に掲示物が出されていた高札場。今は自動販売機が置かれてます。


岩槻の人形博物館もありました。
朝早いので、まだ開いてませんでした。
ちょっと街道から外れますが、岩槻にも時の鐘が残されてます。川越だけじゃないです。


ここで街道は左折して幸手に向かいます。埼玉県道65号さいたま幸手線に入ります。あとはこの県道をずっと辿って幸手に向かいます。
後半の後半岩槻から幸手です。
浄安寺
元荒川を越えます。昔の荒川は岩槻を流れていたんですね。廃止された川ですが、川幅も広く、水量も多いです。


杉並木が残っています。
松並木の名残も少し残ってます。
和戸橋で大落古利根川を渡ります。現在の利根川の流路になる前に東京湾に利根川が流れ込んでいた時の流路です。この川は中川につながります。
最後の一里塚に到着しました。下高野一里塚です。道路の右側の塚だけが今も残っています。
さらにもう少し走るといよいよ幸手市に入ります。もう1kmと少しで到着。
ここで葛西用水路を通ります。ここは琵琶溜井。江戸時代は溜池。今は干拓されて、利根川から取水してきた葛西用水がいくつかの用水に分水する堰になっています。
ここにも古い道標があります。江戸時代末期のもののようです。左いわつきみち 右日光道と刻まれています。
さて、いよいよ日光街道に合流。
合流点には看板があるだけでした。
合流点にはベルクがあるって情報があったんですが、同じ食品スーパーですが、たいらやに変わってました。
これで日光御成道を全部走りました。
あとは合流した日光街道を少し走って、東武日光線の幸手駅から電車に乗って帰りました。電車は速い。