今更ながらあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
お正月はのんびり富山県に帰省していたんですが、元日からまさかの大地震。富山県も津波警報が出たので、一時的に避難してました。
揺れは感覚的には東日本大震災時の東京くらいの大きさで、立ってられないくらい。富山県は震度5強だったので、同じくらいでした。ただ、幸いにも大きな被害はなし。戸棚の中で食器が倒れてたり、花瓶が落ちて割れたりといった程度でした。とにかく無事でなによりです。
しばらくして大丈夫そうになったので、避難先から出て、実家に戻って休んでからも一晩中15分おきに震度2〜3の余震が続く。結局、全然寝れずに朝を迎えました。
富山県はあまり揺れない県なので、うちの老親も朝から地震酔いだって調子悪そうだし、こちらも東日本大震災で似たような経験があるとはいえ、見事な寝不足です。
でも、明けた1月2日は北陸の冬には珍しいせっかくのいい天気です。近くの温泉施設、新湊温泉海王までインターバル走で行ってきました。距離が余って、ゴール地点の周囲を何周かしてます。
しかし、肝心の温泉施設は地震で臨時休業。残念でしたが実家に戻ってシャワー浴びました。そんな感じの落ち着かない正月と初ランでした。
ま、今年も無理せずにがんばって走ります。
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(個人用記録です。地震の記録を読んで気分の悪くなる方は読まないことをお勧めします。)
そんな感じで終わらせてたんですけど、能登半島地震の対応記録を自分用に残しておくことにします。
1月1日月曜日午後4時2分頃。まだ酒は飲んでいない夕方を迎える頃。富山県にしては珍しくやや大きい地震が発生しました。体感的には震度3。だけど記録は震度2。富山県にしてはこれは大きな地震。結局は予震だったようだ。
同じく午後4時10分。揺れがおさまって少し落ち着いた頃に緊急地震速報が来て、再度揺れ始める。能登半島で震度7とな。それはまずい。
かなり大きいのは音で分かる。しかも長い。2分くらい揺れが継続した。この時点で実家内の花瓶や写真立てが倒れる。実家の建物は旧耐震なので、親は慌てて家の外に出る。2分くらい続いただろうかの揺れはおさまる。震度5強とのこと。体感的には東日本大震災時の東京の揺れ。
外に出ると、今度は大津波警報が出たと緊急速報。実家のエリアも津波警報。津波警報は3〜5mの津波想定。実家の標高は1.5m。海からは約1km。ホントに来たらダメじゃん。波長の長い波が来たら飲み込まれる。津波には木造家屋は何の防御にもならない。
近所に住む弟に声をかけてなるべく山の方に逃げるよう告げる。3〜5mということは、4階建以上の建物であれば概ね安全。
年老いた親なので歩いての避難は困難。車で移動する。道路状況は問題なし。ただ、南(山)の方向は渋滞が始まっている。
避難先は津波到達時刻が早そうなので、車で巻き込まれないように5分で移動できる旧第一イン新湊。近隣では一番高い6階建の鉄筋コンクリート造。幸いなことに停電断水無し。エレベーターはNGだけど結婚式等に使っていた広間で待機。ロビーにテレビがあって状況確認可能。とはいえ、特別番組はやっているけど情報はほとんど無し。
テレビで緊急地震速報が流れるけど、3回のうち2回は石川県のみ。1回は富山県も含んでいて、その時は避難している人たちのスマホも大きな音を出す。東日本大震災の時もそうだったけど、この音はホント不安を煽る。
避難先に人はたくさんいるけど、夕暮れが綺麗。青空が赤くなっていく。
幸いにもこの辺りは火事の気配は無い。消防車が走るサイレンも鳴ってない。
しばらくして新幹線に乗っていて、ギリギリ新高岡駅で降りることのできた甥っ子が弟の車でやってくる。お年玉をもらって嬉しそうに車で金沢に帰って行った。11時間缶詰になりかかったのに気楽なもんだ。
しばらく避難先のホテルにいたけど、富山県は到達した津波の最高高さが80cmでずっと止まっている。3時間経過して、能登地方の大津波警報が津波警報になったところで、親の疲れが見えてきたので、自己責任ですが帰宅することに。
帰宅してみたところ玄関先の靴箱の上に置いてあった花瓶が落下して割れた他は目立った被害なし。写真立てが倒れたり、戸棚の中でカップが倒れてる程度。親はぶつぶつ言いながら掃除してましたが。
余震は続くけど、あまり石油系の暖房は使わないようにして夕食。さすがに酒なし。
その後は疲れて寝るものの15分おきに地震で起こされるので眠いまま朝を迎えました。
久しぶりに厳しめの地震体験でした。できればもうやめて欲しいです・・・